ご利用者様の声①
戒名をつけて納骨をする、ということだけが供養の形ではないと考えられるようになりました。
今回のきっかけは、娘からの何気ない言葉でした。
私はエターナルパウダーを選択し、はこはかに納めて手元供養をしています。
一般的な「戒名を付けて納骨をする」ということだけが供養の形ではないと私は考えています。
人それぞれ、事情に合わせたいろんな形があっていいと思います。
しかし、なかなかその考えを受け入れられる人は少ないのではないでしょうか。
私は今回娘の一言で、母を身近で供養できることを、良かったと心から思っています。
ただ、パウダーを見るたびに元気だった頃の母を思い出し、母が「骨」になってしまったことを実感させられるので、悲しい気持ちになることがあります。
今も母の声が聞こえて来るような気がして、さみしい気持ちになってしまいます。
こんな思いをするくらいなら…とは思いません。
私はこれで良かったと思っています。
亡くなったその頃は、そうではなくても、遠いことで足が遠のいたり、月命日を忘れてしまったり…自責の念にかられることもありません。
朝晩に何気なく声をかけたり、果物などを家族でいただくときに一切れ置いたり…忙しい毎日に追われて忘れてしまうことも多々あるけれど、声をかけたり、そうじをしたり…日常に織り込まれていることなので、気軽に考えられています。