ご利用者様の声

ご利用者様の声①

戒名をつけて納骨をする、ということだけが供養の形ではないと考えられるようになりました。
今回のきっかけは、娘からの何気ない言葉でした。
私はエターナルパウダーを選択し、はこはかに納めて手元供養をしています。
一般的な「戒名を付けて納骨をする」ということだけが供養の形ではないと私は考えています。
人それぞれ、事情に合わせたいろんな形があっていいと思います。
しかし、なかなかその考えを受け入れられる人は少ないのではないでしょうか。
私は今回娘の一言で、母を身近で供養できることを、良かったと心から思っています。
ただ、パウダーを見るたびに元気だった頃の母を思い出し、母が「骨」になってしまったことを実感させられるので、悲しい気持ちになることがあります。
今も母の声が聞こえて来るような気がして、さみしい気持ちになってしまいます。
こんな思いをするくらいなら…とは思いません。
私はこれで良かったと思っています。
亡くなったその頃は、そうではなくても、遠いことで足が遠のいたり、月命日を忘れてしまったり…自責の念にかられることもありません。
朝晩に何気なく声をかけたり、果物などを家族でいただくときに一切れ置いたり…忙しい毎日に追われて忘れてしまうことも多々あるけれど、声をかけたり、そうじをしたり…日常に織り込まれていることなので、気軽に考えられています。

ご利用者様の声①

ご利用者様の声②

亡くなったら、お墓ではなく、身近な所にあった方が良いと思います。
我が家の母は私が23歳、妹19歳のときに逝去しました。
その後父は再婚して、亡母のお骨は父の本家の九州にありました。
時間も経過して、私たち姉妹もすでに独立し東京暮らしのため、新聞などで「手元供養」を知りました。
手元に置いて供養できるのなら、実母を「手元供養」したいと考えるようになりました。
妹に相談し、父の許可をもらい、「自宅供養」・「手元供養」について自分なりに理解を深めてお願いすることにしました。
元々お墓は必要ないと思っていましたので、今回のことをきっかけに私自身も、将来母と同じようにするつもりで家族に話しています。
結婚しない、又は結婚しても子供のいない、又は持たない関係の人達もいる今の時代に合った供養の形だと思います。
亡くなったら、墓地ではなく、身近な所にあった方が良いと私は思います。

ご利用者様の声②

ご利用者様の声③

はこはかで身近に供養することで温かさを感じます。
お墓に出向いて供養をするのではなく、いつでも自宅で供養できるという安心感のようなものがあります。
毎日何気なく声をかけることで、身近に感じて忘れてしまったときの申し訳ない気持ちも感じなくて済みます。
「お母さん、ごめんごめん。忘れてたわ。」くらいの感じで声をかけています。
故人にとっては落ち着いた状況なのかという考えの方もいると思いますが、墓前とは違い、故人に話しかけるときなどは、身近で供養できるはこはかの方が温かさを感じていることは確かです。

ご利用者様の声③

ご利用者様の声④

私は一人っ子で、両親の死後は私がしなければならないと負担に思っていましたが、若くに家を出て結婚もしたので、結局両親は、母方の地元のお寺に墓地を購入し、戒名まで準備していました。
しかし、私は関東にすでに自宅を購入していたので、両親が80歳を超えたとき、二人を関東に引き取ることにしました。
事前に用意していた墓地も、遠いという理由で結局手放すようにお願いしました。
父が亡くなったときに、生前父が、「ずっとこの名前で生きてきて、死んだら名前が違う石の下なんて淋しいなぁ」と言った言葉が心に残っていたので、インターネットで見つけた『はこはか』を作ることにしました。
お陰で、父が希望した家族として生きてきたその名前も入れることができてよかったと思います。
今では理解できないと言っていた母も「私もこれにして」と笑いながら言うようになりました。
毎朝桐箱にそっと触れ、一言声をかけて一日が始まる、とても穏やかな気持ちになります。

ご利用者様の声④

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